
1966年東京生まれ。早稲田大学理工学研究科(建築専攻)修士課程 修了後、坂倉建築研究所に勤務。2003年建築家ユニット、プロスペクターを共同設立、2004年山本想太郎設計アトリエ設立。現在、東洋大学非常勤講師。INAX住宅産業フォーラム講師。『DETAIL JAPAN』誌技術翻訳総監修。主な作品に「水戸N邸」「国分寺の家」「板橋のリノベーション」「汐留プラザビル」など。主な著作に『テクトニック・カルチャー』(共訳、2002年、TOTO出版)、『現代住居コンセプション』(共編著、2005年、INAX出版)など
WEBサイト:http://park16.wakwak.com/~prospector/
Detail Japan4月号別冊では、前半に日本の住宅作品、後半にエコを意識したリノベーションを特集しています。双方の詳細図を見比べると、いままでここに書いてきたような性能に対する考えの違いが明確にわかります。といっても、それぞれかなり極端な事例も含まれているので、これが双方の意識の差を代表するような事例とは考えられませんが。
欧州のリノベーションの事例において特に性能が過剰に見えるのは、リノベーションという行為自体がかなりエコロジカルなものとして捉えられていることにもよります。それにしても、何重にも重ねられた断熱材や防水層、執拗なまでのヒートブリッジ対策などをみると、やりすぎかと思えるものすらあります。対して日本における性能設計は、部位ごとに用いられる個々の断熱材や防水面の性能を確認し、それひとつにすべてを依存するような考え方です。しかし多種多様な建築において、そのような製品の性能値が本当に安定した性能を保証できるものでしょうか。
たとえば構造設計においても、規定の構造計算方法によって限界値ギリギリの設計を行っているような事例を良くみますが、それだけで自然現象である地震の動きに対して本当に安全といえるわけではありません。実際に多くの建物では、雑壁や造作、サッシ枠なども建物の構造に貢献しており、それが建物性能のプラスアルファの部分となっているのです。本当にギリギリの躯体のみの空間を見ると、法的には問題なくとも「それでいいのか」という気持ちにさせられます。
建築という複雑性・個別性を持った環境において、各機能材料を計算値のみから適切、過剰とみなすことは危ういことです。特に長い時間持続する存在として建築をとらえるとき、「過剰」であることの意味はより肯定的に捉えられても良いのではないでしょうか。
18:03