
1971年、北海道生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、2000年、藤本壮介建築設計事務所を設立。主な作品は「伊達の援護寮」(2003)「T house」(2005)「情緒障害児短期治療施設」(2006)。現在、武蔵野美術大学美術資料図書館のプロジェクトが進行中
WEBアドレス:http://www.sou-fujimoto.com
GAの杉田さんと浅田さんが事務所にいらした。
相変わらず杉田さんは難しいことを聞いてくる(笑)
人にはそれぞれ言語空間のようなものがあるのではないかと思う。それがすごく重なる人もいれば、全く重ならない人もいる。杉田さんと僕とは、その言語空間がかすかに重なっている。だから難しい。そして同時に、自分の知らない言語空間がかすかに垣間見えるという意味で、面白い。
僕の場合には、何かを言葉にするときに、つねに、目の前の頭上1mくらいのところに、あるイメージが生じていてほしい。そうするとその言葉が良くわかる。言葉を連ねるということは、そのイメージがどんどん飛躍していくことだ。
以前、原広司さんが講評しているのを聞いたときに、言葉自体は全く理解できないにもかかわらず、何かそこに漂っているイメージの予感のようなものがリアルに感じられたときがあって、驚いた。なにかがわかったような気がした。
僕も雑誌に建物を発表するときなどに、長い文章を書くことがある。
その文章だけを読むと、非常に理路整然と、というか、理屈で考えているように思われるかもしれない。でもそれはちょっと違って、僕が言葉を発するときには、それは予感に形を与えているだけなのだと思う。いくら言葉を積み重ねていっても建築にはならない。でもその言葉の連なりの中に、かすかなイメージと予感を感じ取って、そこからまた別の言葉、別の形が生れてくる。そうやって、自分の知らない建築が、段々と生れてくる。
雑誌に書いている文章は、その一連のプロセスを、後から省みて、そしてその中に、また未来に繋がる予感を見つけ出そうとしている文章だ。
それは解説、説明ではなくて、未来に投げ出す予兆だ。
昨日はうちのスタッフが、事務所の近くに借りた新居の引越しパーティ。
屋上の上のプレファブ+別棟のシャワー棟という、珍しくも東京的な場所。
20:39