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<title>DJ PEOPLE Blog04</title>
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<title>いつまでも工事中</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.14%E3%80%80%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E3%81%AE%E7%A9%BA%E3%81%8D%E5%AE%B6.jpg" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/no.14%E3%80%80%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E3%81%AE%E7%A9%BA%E3%81%8D%E5%AE%B6.jpg" width="400" height="300" /></p>

<p><br />
ヨーロッパ旅行をしてなんとなく目につくものであまり日本ではお目にかかれないものは、「もしかして工事がストップしている？」と思わせる建築途中の建物ではないだろうか。様式の違う塔がみられるゴシックの教会も、完成までに数百年を費やした教会も、いずれも金欠が原因で工事がストップしていたのだからさして珍しいわけではないらしい。経済的理由ではなく工事が長々と続いている例はサグラダ・ファミリアだけではないだろうか。<br />
ドレスデンに住んでみると、これら「途中」あるいは「リノベ途中」の建物はやはり目立つ。第二次世界大戦時の爆撃によって長らく廃墟の山だったようだが、私が住み始めた2005年にはすでにそれらはほぼゼロに近づいていた。それでも観光の中心地区や主要な広場や高級住宅街に、ポツポツと大型の空き家が見られたし、それらは今もそのままだったりする。買い手がついたのだろうか、外壁に広告が張り出されるとリノベーション工事がはじまり、やがて完成して翌日には引越風景がみられる。<br />
我が家の近所にはバロック地区と名づけられたいわゆる静かな高級住宅街がある。「ケチなドイツ人でも買う人がいるのかな」と思わせるような高級なブティックやギャラリーが並ぶ。余談だが、１年以上前にベルリンに行く途中にドレスデンに立ち寄ったブラッド・ピットがあまりの寒さにジャケットを買ったのがここのどこかの店らしい。<br />
この一角に、廃墟というのか空き家がある。今でもところどころ線路の跡がみられるのだが、戦前にはこの前を路面電車が通っており、この建物の規模からしても活気があったのではないだろうか。リノベーションに着手したであろう証拠に足場が掛けられており、中のゴミをそとに搬出するためのパイプまで取り付けられている。工事会社か不動産屋の表示がされているが、工事は行われていない。「ホテルに改装するらしい」というニュースを以前聞いたのだが、一向に動きがない。この足場も古くなり、建物と一体化している。<br />
</p>]]></description>
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<pubDate>Sat, 20 Sep 2008 18:03:03 +0900</pubDate>
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<title>DDRの世界　アパート明暗</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.13%20Hauptstrasse%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88.jpg" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/no.13%20Hauptstrasse%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88.jpg" width="400" height="300" /></p>

<p><br />
エルベ川の北側はノイシュタット（新市街）と呼ばれているが、1945年の大空襲は旧市街に集中したために被害を免れた建物が多い。しかし、歴史地区のど真ん中から伸びているアウグスト橋の延長にあるハウプト通り沿いは被害を受け、社会主義時代に典型的なプラッテンバウというプレハブ建築がビシっと建てられた。<br />
そのほとんどはリノベーションされ、設備が新しくなり、外観も内装も小ぎれいにさっぱりとモダンに生まれ変わった。<br />
写真の左側のアパートはバルコニーの外側にガラスの引き戸が取り付けられている。二重サッシではないので「室内」のようには機能しないが、人々は縁側のような感覚で活用している。クリスマス時期にはこの通りはクリスマスマーケットが出てにぎわうので各住戸のバルコニーには趣向を凝らしたデコレーションが競い合い、気候のいい時期にはテーブルを出してお茶を楽しんだり、夏には開け放して自宅にて「戸外生活」をしたり。<br />
しかし、写真の右側のアパート1棟だけ不思議と取り残されている。バルコニーの柵は取り外され、外壁は塗装が剥げ落ち、哀れな姿この上ない。以前はリノベーションの予告が貼り出されており、建築家リベスキンドの名前があった。しかしいつまでたっても工事は始まらず、そのうち予告も取り外されて今に至っている。<br />
その理由は分からない。リノベされれば100％入居は確実な場所なのだが。</p>]]></description>
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<pubDate>Fri, 04 Jul 2008 21:50:25 +0900</pubDate>
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<title>DDRの世界　生まれ変わったドイツ一長いアパート</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.12%20Pragerstrasse%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%80%E3%83%AA%E3%83%8E%E3%83%99%E5%BE%8C.jpg" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/no.12%20Pragerstrasse%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%80%E3%83%AA%E3%83%8E%E3%83%99%E5%BE%8C.jpg" width="400" height="300" /></p>

<p><br />
以前レポートした、２００７年７月９日付の「ＤＤＲの世界　ドイツ一長いアパート」の続編です。<br />
巨大なアパートの外観はすっかり白くなり、まばらで活気のない暗い店舗や空きがめだった店舗はガラス張りへと変身して新しく出発。<br />
写真はプラーガー通りから撮影したもので、都市計画からいえば社会主義のニオイがまだするものの、白と透明性とガラスをキーワードに再生するとこうなる、という例であろうか。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2008/05/ddr_1.html</link>
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<pubDate>Wed, 28 May 2008 20:29:12 +0900</pubDate>
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<title>新市街のグラフィック</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.11%20Neustadt%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3.jpg" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/no.11%20Neustadt%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3.jpg" width="400" height="300" /></p>

<p>ドレスデンはエルベ川を挟んで南が旧市街でゼンパーオペラやツヴィンガー宮殿など歴史的地区になっており、川の北が新市街（ノイシュタット）と呼ばれている。その中でも、私が「ドレスデンのソーホー」と勝手に名づけた地区は活気があり、音楽家やクリエイティブ関係者や学生が多く住み、パンクありヒッピーあり。さすがに女の子がビール瓶片手に飲みながら歩くのを最初に見た時には我が目を疑い、缶を差し出して「50セントくれ！」と寄ってくるパンクの兄ちゃんに恐れをなしたが、それにも慣れるとナチュラルに楽しめる。当然のことながら壁や入口の扉への落書きは他の地区に比べて甚だしく、荒れているのと活気があるのとが紙一重的に混在している。<br />
違法な落書きが「グラフィティ」として市民権を得て今ではアートになってしまったことは、アニメファンがお互いを「お宅」と呼び合うことから始まって「オタク」が定義され、今や「オタクカルチャー」として世界的に認知されてパリで展覧会まで開催されたそのプロフィールを思い出させる。そういえば、「X-COLOR／グラフィティin Japan」と題する展覧会が水戸芸術館で開催されていた。<br />
写真にあるグラフィティは一際目を引くもので新市街のガイドブックの表紙にもなっており、このグラフィティを頂点に様々なものがこの地区には点在している。パリの街でよく見かけるイタズラチックなだまし絵的なものもたまに見かけるが、それよりも迫力あるグラフィティが主流。それによって壁そのものが雄弁となり、この地区全体の雰囲気をエネルギッシュなものにしている。ビールをコップに注いで、なんてことはまどろっこしくてやってられない。やはりビール瓶片手にグビっと飲みたい。</p>]]></description>
<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2008/05/post_9.html</link>
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<pubDate>Tue, 06 May 2008 02:00:33 +0900</pubDate>
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<title>金切り声の部屋</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.10 病院の玄関.jpg" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/no.10 病院の玄関.jpg" width="300" height="400" /></p>

<p>2007年のクリスマス直前というハタ迷惑な時期にドレスデン市内の病院で子供を生みました。<br />
ドイツ語で「分娩室」はクライスザール（Kreisssaal）。クライス（Kreis）という言葉が円形やグループを意味するので、そこから派生したか何か由来でもあるのだろうと思っていた。しかし、クライシェン（Kreischen）という動詞に関係している、と病院の助産婦が教えてくれた。意味は「金切り声をあげる」。<br />
なるほど、産科病棟で耳をすますと「アアァ…」という陣痛時の痛み逃しの声が定期的に廊下にまで聞こえてくる。やがて断末魔のような絶叫に耳をふさぎたくなる瞬間の後、ホンギャァ～と生まれた赤ん坊の声。<br />
そのクライスザールには、陣痛促進剤の点滴開始から分娩まで約24時間滞在した。つまりLDRルーム。キャビネットや収納棚や扉は木製で壁はイエローなのだが、居間の雰囲気を狙ったわけではなく、ドイツの病院や診療所はどこも「どっかのお宅」にお邪魔しているような雰囲気の内装が多い。陣痛に耐えるためのゴムボールやぶら下がるための布やマットレスがあり、ＣＤプレーヤーも完備。当然ながらクリスマスの飾りも。かけつけてから最後まで約20時間つきそってくれた夫も同じ部屋で過ごすことができ、夜中にはIKEAの椅子の上で睡眠をとらせてくれた。<br />
その後の病室も淡いイエローの壁、そして天井からは真っ赤なカーテンが。一応病院のはずなんだけど…としみじみと見てしまう。<br />
妊娠出産は病気ではないが、日本で見かける白い壁に金属チックな器具類に囲まれると痛々しさが助長される。その反動から「妊婦がリラックスして出産まで過ごせるように」となると、いきなり花柄ピンクのカーテンやミッキーマウスのクッションが準備されてしまう。<br />
普段の生活の延長のような部屋、成り行きで分娩にまで付き合わされてしまった感のある夫、見慣れたIKEAの椅子。出産という行為を日ごろの生活から隔離するのではなく、日常の一部としてとらえることのできた「金切り声の部屋」での出産体験であった。</p>]]></description>
<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2008/01/post_8.html</link>
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<pubDate>Fri, 25 Jan 2008 05:08:13 +0900</pubDate>
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<title>悩める石畳</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.9 悩める石畳.JPG" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/no.9 悩める石畳.JPG" width="400" height="300" /></p>

<p>ヨーロッパの古い街並み＝石畳。こういうオートマティックな公式は確かに正しい。パリの凱旋門周辺の石畳が数年前に交換されることになり外されて山積みにされた折、ナポレオンの凱旋を見守ったこれらの石畳が持ち去られないように24時間態勢で監視されたというニュースがあったように、歴史ある街に石畳はつきもの。観光用の馬車が行き交うと、「ああ、かつてはこういう音がしていたんだな」と心躍る。石畳の上をハイヒール履いて犬の散歩をするローマのマダム。ゼンパーオペラでオペラを鑑賞した後に余韻に浸りながら、街灯に照らされた石畳を歩いて自宅まで帰る…私はここドレスデンでこんな贅沢をしている。<br />
観光だけなら石畳はステキだ。隙間にハイヒールがハマってしまう、メンテナンスがされていない凸凹の表現の場合には足首を捻挫しそうになる、車が通ればうるさい、車に乗っていてもビシビシと伝わる振動は不愉快だ。<br />
少なくともドレスデンでは、ド観光地域以外にあるかつての石畳はアスファルトで覆われている。我が家のある場所は、観光の延長地域の真ん中にあり、祭だクリスマス市だと大賑わいになる地域に囲まれてはいるが静かである。前面道路は「幸い」にもアスファルトで覆われている。住んでいる家の前の道路が石畳なんて、実はステキなことではない。「見た目だけだよ」と今の人々は言う。アスファルトで舗装されると住人はホっとするのだ。<br />
ある朝、カッポンカッポン！と乾いた甲高い音が聞こえてきた。窓から馬車が見えた。ちょうど祭の期間だったので、そのために出向く最中だったらしい。アスファルトなのにこの音。これが石畳だったらどうなってしまうんだ！とその時思った。<br />
時々、アスファルトの破れ目からかつての石畳の表面が見える場合がある。当然のことながら、ドレスデンは石畳で全面覆われていたのであろう。毎日とんでもない量の車が通るようになった現在、アスファルトって、石畳って…。</p>]]></description>
<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2007/11/post_7.html</link>
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<pubDate>Fri, 23 Nov 2007 19:32:43 +0900</pubDate>
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<title>ドレスデン再建狂騒曲</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.8 QF.JPG" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/no.8 QF.JPG" width="400" height="300" /></p>

<p>ただ元通りに昔あった通りに再建すりゃいいんかい？とヤケクソなコトを言いたくなる。<br />
国際見本市の取材のため、先日イタリアのとある都市に滞在した折には、今回に限って関係者である英国人男性とのふれあいが多かった。女性一人がうろうろしていればそういうこともあろう。もっとも、「現在はドイツのドレスデンに住んでいます」と告げると彼らは一瞬凍結する。レストランの隣席にいた男性はまくしたてた。「日本には美味しいものが沢山あるのに、ドイツなんてメシのマズイ国によく住むね！」…オタクよりもマシだと聞いたんですが。「え、ドレスデン？戦争で真っ平になったんだよ」…英国軍の無差別爆撃なんですが。「あの街は古くみえるけど全て新しいのさ」…メッタメタにしてくれた英国に対する意地ですよ。<br />
2006年の建都800年を目指して街中ほっくり返して整備し、聖母教会はじめ爆撃後空き地になっていた場所を埋めるような再建工事は現在も続いている。聖母教会周辺は広大な空き地になっていたが、以前の街区割に忠実に、外観は昔をなんとなく再現しながらもモダンな建物が建ちつつある。その先頭を切ったのが、ホテルや店舗や事務所などの複合施設QF（Quartier am Frauenkirche）だった。これは聖母教会を取巻く一区画の1つで、小規模ながら表参道ヒルズのドレスデン版。QF完成以前は、アウグスト橋のたもとから、爆撃を奇跡的に生き延びた長さ101mの壁画「君主の行列」沿いに見通すと、その先に聖母教会が望めた。しかし、爆撃以前の街並みを取り返すことに躍起になっていたドレスデン市は以前の街区割通りに何かを建てることに迷いがなかった。その結果、壮大な壁画沿いの通りの向こうにすぅっとみえていた聖母教会の下部はぶった切られ、視界が通らなくなった。フィレンツェのドゥオモに通じる道に立つと、通りが切れた先にあの色大理石の壁面が見え、目線を上げるとクーポラがぽっかりと見える…あの視線の通り方は参考にはならなかったのだろうか。<br />
再建って何だろうか、とドレスデンに来てからよく疑問に思う。おフランスの現在のパリだって、19世紀のオースマンによる大改造で作り上げられたものではないのか。爆撃に恨み辛みがあるとはいえ、QF街区をそのまま石畳を敷いた周辺広場にしておき、爆撃の産物であるこの視線の通り方を「新しいドレスデン」として肯定することもできたのではないだろうか。<br />
以上、以前夫や友人と議論したことをイタリアで会ったイギリス人の一言で思い出し、つらりと書いてみた。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2007/10/post_6.html</link>
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<pubDate>Mon, 29 Oct 2007 07:48:40 +0900</pubDate>
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<title>連邦財務省</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.7 連邦財務省 022.JPG" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/no.7 連邦財務省 022.JPG" width="400" height="300" /></p>

<p>あまり大きな声では言えないのだが、ドイツ内で「あ、、、」と自分の目にとまる建築の多くは1930年代のものが圧倒的に多い。カサ・デル・ファッショ好きなので、ドイツ人の相方からは「ファシズム建築好き」の烙印を押されている。冷たさと温かみを持ち合わせた石張りの壁、窓のリズムが織り成す端整な佇まい、そして明快さとどこか威圧的な雰囲気の矛盾した同居。これらの建築は軒並みナチス時代の建築であるため、大っぴらには語られることがない。日本人の目はニュートラルに建築をみることができるのだが、周辺諸国に大迷惑をかけたヒトラーのお陰で、ナチスと名のつくものはいまだにドイツ国内ではタブーなテーマであり、建築も例外ではない。しかし日本と違うところは過去の事実をきちんと今日にも伝えるところであり、ナチスと共に建築のたどってきた歴史を記した説明書きがひっそりと脇に立っていることが多い。しかし、いまだ拭えない暗く悲惨な過去があるゆえに、ナチズム建築は話題にもされず、そして評価されず今日に至っている。<br />
現在は連邦財務省として使用されているこの建築はベルリンのポツダム広場の近くにあり、東ドイツ時代にはベルリンの壁に隣接していた。ナチ党員でもあった建築家エルンスト・ザゲビールの代表作品で1936年に完成。1945年まで、ヒトラーのナンバー2と称されたゲーリング率いる帝国航空省として使用されていた。東西ドイツ時代には東ドイツ側に属し、ソ連軍本部として使用されたため、国民の労働と健全な青少年の育成と明るい家庭と国家の未来が朗らかに高らかに描かれた壁画が回廊に残っている。どっちにしてもドイツ人に言わせれば「明るい過去ではない」歴史を背負った建築である。<br />
写真左側にみえる回廊の列柱はシュペーアのツェッペリン広場のそれと同じであり、執拗なまでに繰り返すことによって生み出される空間の質を期待している。建築はナチス・ドイツのプロパガンダの１つの構成要素であり重要な舞台装置であったため、とりわけ外観の写真撮影に夢中になっていた。ふと回廊に足を踏み入れてその空間に託された政治のコアを全身で感じ取った瞬間、「こいつらマジだ」と。ベルリン動物園で白くまクヌートを見た後にでも、是非ヴィルヘルム通り97番地へ。</p>]]></description>
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<pubDate>Fri, 28 Sep 2007 06:11:04 +0900</pubDate>
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<item>
<title>ベルリン中央駅</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no.6 ベルリン中央駅.JPG" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/no.6 ベルリン中央駅.JPG" width="400" height="300" /></p>

<p>ファサードだけ残してその裏側全て建替えするほど「古い建物」の保存に余念のないヨーロッパにあって、ベルリンは壁崩壊後に真新しい建築が雨後の筍のように建てられている。その中でも中央駅のオープンは近頃の目玉商品。日本大使館に行かねばならぬ用事ができたので、まずは「ご利用」ということでドレスデンからベルリン中央駅までの長距離列車利用客として中央駅に降り立ってみた。<br />
中央駅の前身は1871年にオープンしたレルター駅で、1996年に着工し2006年5月28日に新装オープン。ベルリン在住の友人曰く「かつての面影なんか全くなくなった」というレルター駅改装を手がけたのが、国内外に花形的な大型プロジェクトを多数抱えるドイツでも最も精力的な建築家集団gmpのマインハード・フォン・ゲルカン氏である。5階建ての駅はヨーロッパ最大級で、全長321メートルのガラス屋根はこの駅の最大の見どころとなっている。<br />
日本にも住んだことのある相方は「キョウト駅ミタイデス」と一言。ドイツ人の骨格のように大雑把なフレームワークに側面も天井もガラス張り。古典的なファサードに大胆なガラス窓というかつてのレルター駅には鉄骨とガラスによる新たな表現への歓びが溢れていたが、これではまるでヘアヌードが当たり前だと何に対してもエロスや甘美な色艶を感じないドイツのアダルト業界のよう。<br />
余談だが、工事中から中央駅を巡るゴシップはにぎやかだった。鉄骨の一部が強風で落下して列車の発着駅が周辺駅に急遽変更になったこともあった。そして、設計を無視してドイツ鉄道側が勝手に天井の設計変更を行ったり、何やら設置したりしたことは建築家を激怒させ、ついに施主を訴えるという騒ぎに発展した。「金を出しているのはこっちだ」という態度の施主と、1つの作品として認められるべきだという建築家との対決は普遍性を持つテーマではないだろうか。結局、建築家側が認められ、建築が建築家の作品として尊重されたことを世に示すこととなった。<br />
相方が東京に住んでいた時、職人肌のマスターがいるカフェに一緒に行ったことがある。注文したウィンナーコーヒーにはスプーンがついていなかった。尋常ではない砂糖を入れるコーヒーが好みの相方は「スプーンを下さい」と店員に何度も頼んだが、「その甘さで飲んでいただきたいので…」と譲らない。結局彼のとった行動はシュガーポットのスプーンで砂糖を入れてかき混ぜるという暴挙であった。もう8年近くも前の出来事だが、中央駅の写真を撮っている時に鮮明に蘇ってきた。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2007/08/post_4.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Fri, 31 Aug 2007 08:06:29 +0900</pubDate>
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<item>
<title>北斎見参</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="no. 5 2002年洪水の記念碑.JPG" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/no. 5 2002年洪水の記念碑.JPG" width="400" height="300" /></p>

<p><br />
議論半分文句半分。</p>

<p>在住日本人の間で「どうよこれ！」と騒然となったモノが突如アウグスト橋上にお目見えとなったのは、2006年の夏だった。アウグスト橋はエルベ川に架かる橋でまさに歴史的地区のど真ん中、観光客の行き来も多い。橋のたもとには王宮や宮廷教会やオペラ座が控えており、この橋はドレスデンの歴史的中心地の景観の重要な一要素ともいえる。<br />
日本人の誰もが知っている葛飾北斎の「富嶽三十六景　神奈川沖浪裏」である。最初、私は頻繁に開催されるイベントの仮設物かと思っていたのだが、橋に固定されている。ドレスデンは本気なのか？私は市長宛に手紙を書こうと思った。<br />
実はこれ、2002年にエルベ川が氾濫して川沿いの街プラハやドレスデンが大洪水に見舞われた記念碑。ドレスデン在住トビアス・シュテンゲル作「大波」（2006年）という作品。脇の作品プレートに「葛飾北斎にちなみ」と表示がされているので、黙ってパクろうというわけではないらしい。作品そのものは、鉄板をレーザーで刳り貫いたかのような繊細な作りで、何枚かレイヤーになっているためにレースを重ねたような陰影が美しい。よく見ると後方の富士山と波間に漂う舟が排除されている。<br />
何が物議を醸し出しているかというと、設置場所が悪い。いくつもの像が橋の両側にずらりと並んでいるプラハのカレル橋はそれで風景になっている。しかし、何もないとはいえアーチを描きバロック装飾のある石造の橋にこの鉄板の記念碑だけが設置されていいものか。しかも、エルベ川の大洪水は最近始まったわけではなく、ここ300年の記録をみるだけでもかなり頻繁に発生しているため、2002年の大洪水だけに大騒ぎすることに自然の驚異への諦観の念の欠如を感じる。タイタニックだって沈没したでしょっ。百歩譲って、橋の入口から川に降りていく階段あたりが妥当だろう。もう一つ引っかかるのが、北斎の原画はあくまで「海」ということ。模写のように忠実に再現しているので何度みても違和感がある。<br />
写真の後方はゴットフリート・ゼンパー設計のオペラ座である。「納得いか～ん！」通るたびにそう思う。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2007/08/post_3.html</link>
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<pubDate>Fri, 03 Aug 2007 16:21:04 +0900</pubDate>
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<title>ドレスデン中央駅</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="ドレスデン中央駅.JPG" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/ドレスデン中央駅.JPG" width="400" height="300" /></p>

<p>ドイツの顔とドレスデンの顔の両方を、なぜ外国人である（後者にいたっては爆撃の張本人の）イギリス人のノーマン・フォスター卿が手がけることになったのか。<br />
初めてドレスデンを訪れたのが2001年の冬。中央駅横にそびえるマンションの15階の部屋から改修工事中の中央駅を撮影。そして翌年も同じように訪れて同じ場所から撮影した。あまり変わっていない。そして2006年の夏、建都800年祭にあわせるかのように一応完成をみた中央駅はオープニングのセレモニーが盛大に行われた。フォスターここにあり、てっぺんにはベルリンのライヒスターク（議事堂）と同じようにガラスのドームがのっている。<br />
ドレスデン中央駅が建設され始めたのが1892年、オープンが1898年。第二次世界大戦のドレスデン爆撃の時に被害を受け、2000年から改修がはじめられてめでたく2006年完成したが、実のところ南側はいまだ工事中である。<br />
サグラダファミリエかドレスデン中央駅か、というくらい工事は永遠に続くように思われた。改修工事の初期に張られた、ホームを覆う白い屋根シートは変色し、完成前に破損した。当然取り替えることになったのだがメーカーがすでに倒産しており、すったもんだの末なんとか張替えられた。トドメは、あの屋根シートを見た市民は工事現場の保護シートと勘違いをして「いつあのシートは取り外されるんでしょう？」。それ、仕上げです。<br />
アイボリーホワイトのコンコースとガラスのドームがお目見えしてドレスデンの表玄関が整ったことに市民たちは安心し、オープン直後は天井を見上げる人たちで混みあっていた。「リノベーションは上手」と言われるフォスターだが、コンコースに一歩足を踏み入れるとそのノーブルな空間に包まれてどこか心がすっきりとする、さすが。<br />
ふと感じたこと。建築に自身の存在を刻み付けたいという欲望は古今東西変わらないのかもしれない。黒川紀章の三角錐、フォスターのガラスのドーム、例えば。<br />
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<link>http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2007/07/post_2.html</link>
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<pubDate>Tue, 24 Jul 2007 18:52:26 +0900</pubDate>
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<title>DDRの世界　ドイツ一長いアパート</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="Pragerstrasseのアパート.JPG" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/Pragerstrasseのアパート.JPG" width="615" height="458" /></p>

<p>「DDR時代は…」「これはDDRのものだ」という、東ドイツを意味するDDR（デーデーエール）という単語をよく聞く。映画「グッバイレーニン」で描かれているように統一後は西側のモノが一気に押し寄せたとはいえ、大小様々にDDRがなんとなく、且つしぶとく残っている。DDR時代の都市計画においてプラッテンバウ(Plattenbau)と呼ばれるプレハブ建築は60年代以降のDDRを象徴する建築であり、都市景観を形成する上で重要であった。しかし、建設から40年以上経ち、順次リノベされているが、その一方で経年変化のためにみすぼらしい図体を晒しているものも多く、そのいくつかはすでに空き家になっている。2006年がドレスデン建都800年ということもあり、聖母教会の完成を筆頭に街中がほっくり返されて整備が進んでいるが、このところ「用無し」と判を押されたDDR時代のプラッテンバウが取り壊しの憂き目にあっている。次々と新しくきれいになっていく中で取り残されていたとはいえ、いざ取り壊し工事がはじまると「ああやっぱり」と寂しそうに見る年配の市民がちらほら。<br />
そのプラッテンバウの中でも飛びぬけて巨大なものが、ドレスデン中央駅から北に伸びて歴史的地区に至るプラーガー通りが始まるまさに玄関口に建っている。1966年に建設され、11階建て、全長250メートルという長さはドイツ一長い。ル・コルビュジエのユニテ・ダビシオンのコンセプトに基づくDDR版である。エキスパンションジョイントなしに一気にこの長さとは、地震がない土地ゆえのなせる業。DDR時代の都市計画では、中央駅の前に巨大な広場、そこから伸びる広いプラーガー通りの東側にこのアパート、西側には長方形と正方形の建物（現在はホテル）が幾何学模様のように配置されていた。この広場は取り壊されてドイツでありきたりのガラス張り商業建築が建てられ、DDR時代の都市計画は虫食いのように取り壊されつつある。<br />
このアパートの脇にはコープヒンメルブラウ設計の映画館（1998年）が建てられ、この映画館と、疲れ果てて横たわる巨大な社会主義時代の遺産とのコントラストが強烈だった。仮囲いが出来た時にはいよいよシャカ行きかと思ったが、実は全面改装するという。ドイツが誇る古都なのに、中央駅を降りたらいきなり社会主義建築に出迎えられることに最初はショックを受けたが、この巨大な老体がさっぱり新しくなってしまうことに今は寂しさを覚える。<br />
もちろん、取り壊しか保存かでしばらく議論があった。結局「文化財(Denkmal)」として指定されたため、改装されることになったのである。一番の争点は、Denkmalに指定された建築は、「美しい古い街」というイメージに帰着しなくてはいけない、ということであった。現在のドイツ人の感覚からいっても、私個人の感覚から言わせてもらってもDDRのプラッテンバウはおよそ美しいシロモノとはいえない。しかし、DDR時代には政治的理由もあり、美しい建築だったのである。DDR時代のプロダクトのチープ感覚がノスタルジーをそそるという理由で専門店までオープンするほどブームで、その煽りを受けているとは言えないまでも、DDR時代の一つの記憶として保存されることになった。<br />
全面改装に注ぎ込まれる2千4百万ユーロという巨額も話題になった。かつての住戸数は614戸だったが、改装後は561戸（ワンルーム143戸、2部屋402戸、3部屋12戸、ペントハウス4戸）になる。プラーガー通りに面した1階は商業店舗が入る予定である。すでにドレスデン内の他のプラッテンバウのアパートでも導入されているが、管理人を常駐させて本来のセキュリティの他、アパートの住人はそこでパンや新聞を買うこともできる。<br />
薄暗い色彩がいかにもDDRだったが、真っ白に塗られた外壁が表れつつある。同じように全面改装されたプラッテンバウの高層アパートにかつて3ヶ月ほど住んだことがあるので、どのような感じに仕上がるのかは想像がついてしまう。きっとIKEAの家具がよく似合うのだろう。<br />
</p>]]></description>
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<pubDate>Mon, 09 Jul 2007 17:38:02 +0900</pubDate>
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<title>窓が語る</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="20070623 民家の窓 2.jpg" src="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/20070623 民家の窓 2.jpg" width="400" height="300" /><br />
ドイツ人は隙間風を嫌う。<br />
貧乏ったらしいイメージそのものらしい。<br />
ハーフティンバーの美しい木造の民家は、いかにもドイツらしい特徴のある住宅としてどの街でも大切な観光名所として修復され保存されている。しかし、このような民家は常に隙間風との戦いであり、現代の人々はあまり住みたがらない。暗く冷たく長いドイツの冬を耐え忍ぶ歴史の中では、人々は戸棚の中にベッドがあるような家具で寝たりベッドに天幕を垂らしたり、隙間風と寒さ対策に余念がなかった。<br />
ドイツの建物は、1948年以前に建設されたものを「アルトバウ（古い建物）」、それ以後のものを「ノイバウ（新しい建物）」と呼ぶ。アルトバウは水道・電気・暖房などの諸設備や壁紙等がリノベーションされ、さらに窓も取り替えられている場合が多い。風を取り入れると同時に風を遮断するという両極端の機能を担う窓には、人々の葛藤が垣間見られる場合がしばしばある。<br />
この写真は、エルベ川沿いに数キロにも渡って開催されるフェスタがあり、村から村へと続く道を歩いた時に見つけた家である。<br />
ごく普通の民家なのだが、1階と2階の窓が違う。2階の窓は、40センチほどもある壁厚を利用して外側に外開き、室内側に内開きの窓が取り付けられている。各窓は1枚ガラスなのだが、2枚の窓を取り付けることによって風や寒さを防いでいる。一方、1階の窓は典型的な現代のガラス窓であり、ダブルガラス構造。密閉性は驚異的で、ガチャン！と締めてハンドルを回すと隙間風どころか音も漏らさない。内側に大きく開けることもできるし、上部だけを内側に傾かせることもできる。これ1枚で隙間風も雨漏りも解決でき、広い視界まで得られるのであればこんな快適なことはない…まさにドイツ人の長年の願いだったのだろうか。<br />
2階の窓の場合、窓枠が素敵なのだがその窓枠が邪魔してすっきりとした視界を得ることはできない。外気を取り入れる場合は2枚の窓を開けなくてはいけないし、強風の時は外側の窓を閉めなければ風に煽られてしまう。「素敵ね」と思わせるのは明らかにこちらの窓なのだが、住人にしてみたら日常生活はラクしたい。<br />
昔ながらの窓枠にも関わらずダブルガラスがはまり、接合部がパッキン仕様の窓もあるのだが、彼らが理想とする「完璧な隙間風の遮断」には至らない。<br />
美しいハイヒールは長時間はいていると痛くなる。年代モノの車はよく故障をする。美と伝統は、忍耐と手間の賜物というのか引換えであるように、窓1つにも古い家に住み続ける住人の我慢や妥協の限界が見える。<br />
</p>]]></description>
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<pubDate>Wed, 27 Jun 2007 01:47:50 +0900</pubDate>
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<title>はじめまして</title>
<description><![CDATA[<p>2005年の春以来、ドイツのドレスデンに住んでいます。<br />
ドレスデンは現在、ポーランドとチェコに国境を接するザクセン州の州都であり、かつてはザクセン選帝侯の宮廷都市として栄えた土地。歴史的中心地区には豪壮なドイツ・バロック建築が立ち並び、ドイツ随一の古都として「京都と金沢の中間くらい」の位置を占めている。チェコが誇る古都プラハを流れるエルベ川はドレスデンにも通じ、「エルベ川のフィレンツェ」と愛でられた。現在、フィレンツェとは姉妹都市である。しかし、第二次世界大戦も終了間際の1945年2月13日から14日未明にかけて英米軍による大爆撃があり、ほぼ壊滅。戦闘能力をすでに失っていたドイツの文化遺産的古都への無差別爆撃はイギリスへの恨み辛みをドイツ人の心の中に植え付け、それは今日も続いている。その後、ドレスデンは1989年のベルリンの壁崩壊まで東ドイツ（ドイツ民主共和国 Deutsche Demokratische Republik: DDR）に属した。<br />
ザクセン王国・東ドイツ・統一後ドイツの各時代の建築が入り混じる街。2006年には建都800年を迎え、それにあわせるかのように再建した聖母教会（フラウエンキルヒエ）の完成によって年間200万人だった観光客は倍になり、常にどこかで工事があり変化し続ける街。<br />
建築家である旦那の勤務先がたまたまここの大学だったという理由で暮らしているだけです、と書くとネガに聞こえるが、住めば都で愛着も湧いた私は、ドレスデン市民(Dresdenerin)して、日本人として、建築ジャーナリストとしての視点で今後ブログを書いていかれればと思います。<br />
どうぞよろしくお願いいたします。<br />
</p>]]></description>
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<pubDate>Thu, 14 Jun 2007 19:14:33 +0900</pubDate>
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