福田Noennig陽子(ふくだ ネニッグ ようこ)

1971年、神奈川県生まれ。1999年、早稲田大学修士課程(建築学専攻)修了。1999~2001年、日本女子大学住居学科専任助手、2004年同大学博士課程修了。学術博士。2005年4月よりドイツのドレスデン在住。活動範囲は、建築およびその周辺の取材・執筆、翻訳、ピアノ伴奏
WEBアドレス:http://yoyodiary.blog.shinobi.jp/

9 28 2007

連邦財務省

no.7 連邦財務省 022.JPG

あまり大きな声では言えないのだが、ドイツ内で「あ、、、」と自分の目にとまる建築の多くは1930年代のものが圧倒的に多い。カサ・デル・ファッショ好きなので、ドイツ人の相方からは「ファシズム建築好き」の烙印を押されている。冷たさと温かみを持ち合わせた石張りの壁、窓のリズムが織り成す端整な佇まい、そして明快さとどこか威圧的な雰囲気の矛盾した同居。これらの建築は軒並みナチス時代の建築であるため、大っぴらには語られることがない。日本人の目はニュートラルに建築をみることができるのだが、周辺諸国に大迷惑をかけたヒトラーのお陰で、ナチスと名のつくものはいまだにドイツ国内ではタブーなテーマであり、建築も例外ではない。しかし日本と違うところは過去の事実をきちんと今日にも伝えるところであり、ナチスと共に建築のたどってきた歴史を記した説明書きがひっそりと脇に立っていることが多い。しかし、いまだ拭えない暗く悲惨な過去があるゆえに、ナチズム建築は話題にもされず、そして評価されず今日に至っている。
現在は連邦財務省として使用されているこの建築はベルリンのポツダム広場の近くにあり、東ドイツ時代にはベルリンの壁に隣接していた。ナチ党員でもあった建築家エルンスト・ザゲビールの代表作品で1936年に完成。1945年まで、ヒトラーのナンバー2と称されたゲーリング率いる帝国航空省として使用されていた。東西ドイツ時代には東ドイツ側に属し、ソ連軍本部として使用されたため、国民の労働と健全な青少年の育成と明るい家庭と国家の未来が朗らかに高らかに描かれた壁画が回廊に残っている。どっちにしてもドイツ人に言わせれば「明るい過去ではない」歴史を背負った建築である。
写真左側にみえる回廊の列柱はシュペーアのツェッペリン広場のそれと同じであり、執拗なまでに繰り返すことによって生み出される空間の質を期待している。建築はナチス・ドイツのプロパガンダの1つの構成要素であり重要な舞台装置であったため、とりわけ外観の写真撮影に夢中になっていた。ふと回廊に足を踏み入れてその空間に託された政治のコアを全身で感じ取った瞬間、「こいつらマジだ」と。ベルリン動物園で白くまクヌートを見た後にでも、是非ヴィルヘルム通り97番地へ。

06:11

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