
1971年、神奈川県生まれ。1999年、早稲田大学修士課程(建築学専攻)修了。1999~2001年、日本女子大学住居学科専任助手、2004年同大学博士課程修了。学術博士。2005年4月よりドイツのドレスデン在住。活動範囲は、建築およびその周辺の取材・執筆、翻訳、ピアノ伴奏
WEBアドレス:http://yoyodiary.blog.shinobi.jp/
「DDR時代は…」「これはDDRのものだ」という、東ドイツを意味するDDR(デーデーエール)という単語をよく聞く。映画「グッバイレーニン」で描かれているように統一後は西側のモノが一気に押し寄せたとはいえ、大小様々にDDRがなんとなく、且つしぶとく残っている。DDR時代の都市計画においてプラッテンバウ(Plattenbau)と呼ばれるプレハブ建築は60年代以降のDDRを象徴する建築であり、都市景観を形成する上で重要であった。しかし、建設から40年以上経ち、順次リノベされているが、その一方で経年変化のためにみすぼらしい図体を晒しているものも多く、そのいくつかはすでに空き家になっている。2006年がドレスデン建都800年ということもあり、聖母教会の完成を筆頭に街中がほっくり返されて整備が進んでいるが、このところ「用無し」と判を押されたDDR時代のプラッテンバウが取り壊しの憂き目にあっている。次々と新しくきれいになっていく中で取り残されていたとはいえ、いざ取り壊し工事がはじまると「ああやっぱり」と寂しそうに見る年配の市民がちらほら。
そのプラッテンバウの中でも飛びぬけて巨大なものが、ドレスデン中央駅から北に伸びて歴史的地区に至るプラーガー通りが始まるまさに玄関口に建っている。1966年に建設され、11階建て、全長250メートルという長さはドイツ一長い。ル・コルビュジエのユニテ・ダビシオンのコンセプトに基づくDDR版である。エキスパンションジョイントなしに一気にこの長さとは、地震がない土地ゆえのなせる業。DDR時代の都市計画では、中央駅の前に巨大な広場、そこから伸びる広いプラーガー通りの東側にこのアパート、西側には長方形と正方形の建物(現在はホテル)が幾何学模様のように配置されていた。この広場は取り壊されてドイツでありきたりのガラス張り商業建築が建てられ、DDR時代の都市計画は虫食いのように取り壊されつつある。
このアパートの脇にはコープヒンメルブラウ設計の映画館(1998年)が建てられ、この映画館と、疲れ果てて横たわる巨大な社会主義時代の遺産とのコントラストが強烈だった。仮囲いが出来た時にはいよいよシャカ行きかと思ったが、実は全面改装するという。ドイツが誇る古都なのに、中央駅を降りたらいきなり社会主義建築に出迎えられることに最初はショックを受けたが、この巨大な老体がさっぱり新しくなってしまうことに今は寂しさを覚える。
もちろん、取り壊しか保存かでしばらく議論があった。結局「文化財(Denkmal)」として指定されたため、改装されることになったのである。一番の争点は、Denkmalに指定された建築は、「美しい古い街」というイメージに帰着しなくてはいけない、ということであった。現在のドイツ人の感覚からいっても、私個人の感覚から言わせてもらってもDDRのプラッテンバウはおよそ美しいシロモノとはいえない。しかし、DDR時代には政治的理由もあり、美しい建築だったのである。DDR時代のプロダクトのチープ感覚がノスタルジーをそそるという理由で専門店までオープンするほどブームで、その煽りを受けているとは言えないまでも、DDR時代の一つの記憶として保存されることになった。
全面改装に注ぎ込まれる2千4百万ユーロという巨額も話題になった。かつての住戸数は614戸だったが、改装後は561戸(ワンルーム143戸、2部屋402戸、3部屋12戸、ペントハウス4戸)になる。プラーガー通りに面した1階は商業店舗が入る予定である。すでにドレスデン内の他のプラッテンバウのアパートでも導入されているが、管理人を常駐させて本来のセキュリティの他、アパートの住人はそこでパンや新聞を買うこともできる。
薄暗い色彩がいかにもDDRだったが、真っ白に塗られた外壁が表れつつある。同じように全面改装されたプラッテンバウの高層アパートにかつて3ヶ月ほど住んだことがあるので、どのような感じに仕上がるのかは想像がついてしまう。きっとIKEAの家具がよく似合うのだろう。
17:38