
1956年、鹿児島県生まれ。京都工芸繊維大学卒業後、1990年、有馬裕之+Urban Fourthを設立。 主な作品に 「MA」「太宰府の住宅」「introspective」「ab」「second plate」「studio D」「M/異化された場」。 現在、コンセプトプログラム「earth lounge」を進行させている。
「ばらばらのエレメントが同時に存在してもなお全体が成り立っていて強度が持続する」
…ここしばらく数人のグループで模索している。
1つの価値で全てを統括するという事ではなく多様性が共存しつつ意味が成り立てば…
「1:1」の幻想が崩れてもそれを超えて行くシステム。
『ビバリーヒルズの山側のある住宅地。 機械式のゲートを入り、急な坂道を上ると
壁に囲まれた 小さな家が見えてきます。
1960年竣工の「ケーススタディハウス#22」。
窓がない道路側のファサードから一転、 中庭に入るとロサンゼルスを一望するパノラマが
目の前に広がり、 斜面にせり出したガラスと鉄のシンプルな建築が姿を現します。
誰もがそのコントラストに驚きの声を上げずにはいられません。
今も当初からのオーナーである高齢の母親、 40代の娘夫婦とその幼い娘の4人が住んでいます。
「プライバシーは?とよく心配されるけど家族の顔がすぐ見えるから 私はこの家が大好き。
ベッドルームが2つしかないので、幼い娘はクローゼットにベッドを 置いて自分のスペースに
しているけど、返って娘は小さなスペースを楽しんでいるみたい。 私も1歳のときからこの家で
育ったから、娘も同じように育てたい。 この家を売るなんてとんでもないことだわ。」
とオーナーの娘のサラさん。
竣工時と変わらぬ姿を保っている背景にはオーナー家族の 建築に対する愛情がありました。』
LOSのUSCでジャーナリズムの研究をしている佐藤紀子からルポが届いた。
サラの家族の創意工夫と息づかいが聞こえる。

♯22について、建築的な固定的正攻法でアプローチをしようとすると
とたんに矛盾が溢れて基盤の危うさが露呈する。
しかし、ここは脆弱さに満ち仮設的でフローの場なので全体的な単純さだけしか見えないが、
だから興味深いと言える。本質は隠れている。
ばらばらの活動があって…それが共時的に起きていてこそ意味を持つ…それを包含する場。
松岡正剛はかつて「弱連結」と書いた。「弱さはつねに過激である」とも。
日常の私たちの「活動」や「行為」は部分的なものでインスタントで全体像を把握できる訳でもない…
そんな日常に対して失われない空間の価値は…と問われている。
イームズの制作した膨大な量の映像コレクションを見る機会があった。
記録映画/CMなど延べ10時間…夜7時あたりから見始めて明け方迄かかってしまった。
人形アニメ−ションやpowers of ten/philosophical gardenなどが印象的で、
イームズのデザインフレームの中のばらばらの「好み」の部分部分をラッシュで
見ているような感じだった。

映像に残されているのはイームズが興味を持った本音のリアルな部分の世界の積層だ。
まさに脆弱で部分部分の連結された総体だった。
ここには統一や終結を目指した構造主義の残香は無い。
ばらばらの日常を切り取りそれぞれ個別化し編集した映像群。
かつてのアメリカのフロンティアの時代感を見る事が出来た。
私たちは多様性が各所に派生し溢れてしまっていることを実感している。
「脆弱さ」「多様性」「変化」を包含しつつそれでも強度を持つコアなものが
成り立たないのか…と問われている。
今度LOSに行く機会を捉えて「♯22」を訪れる。
「脆弱⇔強度」という意味を考えて見たいと思っている。
2:50 PM
はじめまして。私はいま通信大学で建築デザインの勉強をしています。よく建築を見たりするのも好きなのですが、最近では建築をつくるとき、どのような思想のもとにおいて、また、どのような目線で建築を造っているのかと疑問に思い、様々な建築家の方と直接会い、お話をお伺いしたいと思っています。もしよろしければ事務所の住所を教えていただけませんか。そして、お話をお伺いしに行ってよろしいでしょうか。
投稿者 住永大地 : April 23, 2007 2:16 PM