有馬裕之(ありま ひろゆき)

1956年、鹿児島県生まれ。京都工芸繊維大学卒業後、1990年、有馬裕之+Urban Fourthを設立。 主な作品に 「MA」「太宰府の住宅」「introspective」「ab」「second plate」「studio D」「M/異化された場」。 現在、コンセプトプログラム「earth lounge」を進行させている。

Nov 20 2006

タクラマカン

8月にBEIJING-ULANBAATARの国際クロスカントリーのラリーが行なわれた。今年で10回目。
北京からウランバートル迄の砂漠の奥底に入って走破して行く勇気がここにある。
転倒と蛇行と消耗の戦い。ヘリを飛ばし、バックアップキャンプを設けて、うごめくように砂漠にチャレンジする。
先月その記録が主催者のY氏から送られて来ていた。


タクラマカン.jpg


時々、タクラマカンのことを思い出す。
数年前に嘉峪関から敦煌にかけて車で走った。漠高窟で壁画や塑像を見るという「仕事」だった。
中国政府機関である敦煌石窟院の壁画修復研究者と過ごした日々…敦煌に来る迄にかなりの時間を旅していた。
トラブルで飛行機が飛ばず、砂漠での地上走行になったのだ。
修復研究者の中に1000ccのバイクを運転する若者が居て、腕のいい画家であったのだが
いつも髪をなびかせて砂漠を走っていた。彼には日常がクロスカントリーラリーであるかのように見えた。
タクラマカンから様々なことを教えられた。途中にいくつかのオアシスや漢遺跡などがあって、
西瓜を買い、天山山脈からワジとなって流れて来る冷水に足をひたしての旅。
楡林窟という一般に開放されていない遺跡にも寄り滞在者に手打ち麺を馳走されもした。

砂漠の中心を10時間程連続して疾走している時に、突然、前方に小さな影が現れた。
少女と老人とロバ…炎天下、何も無い砂漠の中をとぼとぼと歩いていた。
見渡す限り何も全く無いこの乾いた砂の道をなんの装備も無くただ歩いているように見えた。
車は抜き去り…私は振り返った。次第 に小さくなるその姿…どんどん小さく小さくなっていく…。
何故か涙が出て来ていた。彼らの歩みの旅の厳しさ…。

我に返って思った…いや、彼女達は私の知らない「砂漠」を知っている。だから歩いて行ける。
私などが想像もできない星のしるし、風の流れ、オアシスの水の在処をリアルに知っている。
「命」で結びながら旅をしている。

「砂漠には何も無い」という事は絶対に無いと思った。
「全てがそろっている」と錯覚している日本での自分こそ何も無いのだろう。
あの少女達のようには歩いて生きていけない私。

時々あの時の思いを反芻してしまう。
「タクラマカン」はまさに「入ったら二度と出れない」記憶となって常に心の中にある。


タクラマカン4.jpg














4:36 PM

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