
本名、内野正樹(うちの まさき)。1960年静岡県生まれ。82年に編集者となって以来、雑誌一筋。88年より建築の世界に入る。05年4月、DETAIL JAPANを創刊。現在、同誌編集・発行人
朝、電車の中で、しばし、「高貴さ」ということについて考えてしまった。
先週ひいた風邪がなかなかおさまらないので、ここはちょっと元気をつけようと、マリア・カラスを聴き出したのである。「世紀の声」とかいうベスト版で、頭の曲は、ベルリーニ『ノルマ』の第1幕の「清き女神」。
録音場所はスタジオかコンサートホールか分からないが、その空間の隅々までが「高貴さ」でもって振動している、そんな印象を持った。ソプラノをそんなに数多く知っているわけではないが、まさしく「世紀の声」、当時でさえ稀有な存在だったに違いない。
翻って自分の周りを見回してみると、「高貴なもの」、がなかなか見当たらない。20世紀までは何とかもちこたえたが、世紀の壁を越えて生き残れなかったか、と思うほど、「高貴」の体験は稀になっている。
すべてが「平板化」していく中で、「高貴さ」はどこかに取り残されてしまったのか。政治を特に例に出すまでもなく、茶番を前にしてシニカルな反応を繰り返す(しかない)現代人には「高貴さ」などというものは縁のないものなのだろうか。
われわれは、高貴さをもたない世界に生きているのだ、そんなことを、まだ、ボヤケた風邪引きの頭で、ふと思った。
9:36 AM
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